~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より
魂のこもったこころが至高の真実を発見した。
神に瞑想するのは義務ではなく名誉なことなのだ。
Q: もっと人生に喜びが欲しいのです。けれどもだからといって、そのために瞑想に飛び込むだけの自信がありません。
A: 人生に喜びを感じていない、しかし喜びは欲しいと感じている。それはつまり、あなたがスピリチュアルなことに飢えていると云うことだ。
スピリチュアルに飢えているなら、スピリチュアルな食べ物を食べることだ。
飢えていなければ食べないだろう?
あなたはこれまで十五~二十年の間、スピリチュアルな生活を誠実に、あるいは激しく求めてくることはなかった。
あまりに長い間瞑想もしてこなかったから、スピリチュアルな海に急に飛び込んでも泳ぐことは出来ない。
自分の性質をすぐに変えることは出来ないから、ゆっくりと一定のペースで、少しづつやるようにするといい。最初は水の中で動き回り、徐々に泳ぎ方を習うこと。
そのうちうまく泳げる時がやってくる。しかしあなたにはもう内的に飢えがあるのだから、泳ぎ始める準備が出来ていると云うことだよ。
~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より