~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より
もし神の御顔が見たいなら
毎日少なくともいくらかの時間を過ごさないといけない
神の選ばれし道具であるあなたのハートと共に~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より
ただ目を閉じて、頭に漂っている心地良い思いを楽しむだけの瞑想を五~六回やるより、一日一回でいいからしっかり瞑想した方がいい。
瞑想のたびに、自分は〈命の息吹〉を〈スープリーム〉に捧げ、〈魂の光〉を前面に持ってきていると感じなければいけない。
そうして初めて、瞑想は意味のあるものになる。もしあなたが、魂を込めて瞑想することが、一日に一回早朝に行うのが精一杯だと感じているなら、それで充分だ。
そこにあなたの本当の受容力、誠実さ、やる気、悦びが見えることが何より大切だ。もしそこにインスピレーションがあれば、それは〈スープリーム〉から〈励まし〉と〈許可〉を貰ったということだ。
つまりあなたはとても速く走って行くことが出来るだろう。また、昼休みや三時の休憩に瞑想する者もいる。
すばらしいことだ。でも、早朝の瞑想も必要だ。朝早く、正しいことをして一日をスタートすることができれば、あなたは一日中インスピレーションを受けた状態でいることが出来る。
朝の瞑想が一番
朝の時間に瞑想すれば、それはとても実りあるものだということがあなたにもわかる。
太陽が昇る前、地球の意識はまだかき乱されてはいない。世の中は、まだその日の喧騒の中に入っていないからだ。
自然はまだ静かで落ち着いている。このことは、あなたが瞑想をする上で、大きな手助けになる。
自然がぐっすりと眠っている間は、人の内に巣くう動物の部分、つまり光があたっていない意識もやはり眠っている。
その時まだわれわれは、活力を与え、満たしてくれる夢の世界にいる。そしてそこから現実<リアリティ>が育っていくことになる。
だから、アスピレーションを持つ目覚めた意識は、朝の瞑想から得るものが一番多いのだ。
陽が昇ると、母なる大地<マザー アース>は神聖に活動的になるか、あるいは神聖さのない落ち着きのなさを持つようになる。
特に西洋では、現在のダイナミックな性質のために、宇宙あるいは外の自然に、ある種の苛立った感覚がある。
このような落ち着きを欠いた世の中の性質は、あなたにとっては不要なものであるにもかかわらず、入ってきてしまうことが多い。
人が活動し始めた途端、あなたがどこにいようが、たちどころにその波動はあなたの中に入ってきてしまう。
大気、光、あなたの周りにあるすべてに、人間の活動と不安感のもつ波動が浸透してしまうのだよ。
まるでそれはうなり声をあげるライオンのように、世の中はあなたの目の前に立ちはだかっている。
うなるライオンの前で、どうやって最高の瞑想に入れるというのだろう? だが世の中が目覚める前、宇宙がまだ静かで、周りの人たちが休んでいる間なら、あなたはより深い瞑想をすることが出来る。
日中に瞑想するのはとても難しい。夜の瞑想も幾分なりと難しいものがある。なぜなら八時間から十時間、あなたは世間の喧騒の中にいたからだ。
日中アスピレーションのない人たちにたくさん会い、そして無意識のうちに、その人たちの神聖でない考えや不純な思いがあなたの中に入ってきてしまっているのだ。
内的に非常に強くない限りは、世の中からアスピレーションもインスピレーションもない力をたくさん自分の中に取り入れてしまっているのだ。
だから夜に、朝と同じレベルの希望と神聖さをもって瞑想するのはとても難しいのだよ。瞑想の前にシャワーを浴びたり、あるいはスピリチュアルな人と交わったりすることは良いことだ。
朝になるとこのような神聖でない力や経験は、少なくともしばらくの間は、記憶から消え去っている。
寝ている間にあなたの中に入ってきていた不純なものはすべて洗い流されてしまっているのだ。
その時あなたの魂は、まるで〈聖なる盗人〉のように静かにあなたを観察している。普通の泥棒はあなたから何かを盗んで行くが、この〈聖なる盗人〉はただただ与えるだけなのだ。
ある場所で〈平安〉が必要なら、魂はそこに〈平安〉を持ってきてくれる。魂はちょうど母親のように振舞う。
子供が寝ている間、早朝そっと部屋に入ってきて、日中に必要なものを用意しておいてくれるのだ。
夜寝ている間魂は、あなたに必要なことをやってあげられる機会を持てる。
しかし、あなたが日中、外の世界の活動に夢中になっているときは、魂はあなたに与えることも、あなたが魂から受け取ることも非常に難しい。
だから、朝の瞑想が一番なのだよ。
美<ビューティ>がやってきた
まるで朝のバラのように
務め<デューティ>がやってきた
まるで朝の太陽のように
神聖<ディヴィニティ>がやってきた
まるで朝のアスピレーションのように
~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より