瞑想は実用的か

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meditation class in tokyo 瞑想 東京 ワークショップ正しい時に正しいことができる人を、実用的な人といいます。

そのような人の外的な生活はとてもうまくいきます。

しかし、どんなに賢くても、どんなに気をつ けていても、途方に暮れるときが誰にでもあります。

どう言ったらいいのか、何をしたらいいのか分からない時や、正しいことを言ったり、したりしているにも かかわらず、すべてのことがうまく行かなくなってしまうことがあります。人生をコントロールできなくなるのです。

心から何かをやりたいし、何かになりたい、でも、できない。

なぜこんなことが起こるのでしょうか?それは、外的な能力というものが、内的な〈気づき〉に常に左右されるからです。

内的な生活で実用的であれば、すなわち祈りや瞑想をしていれば、内的な〈気づき〉を増やすことができます。

内的な〈気づき〉があれば、永遠の真実や、終わりのない喜びに自由にアクセスでき、外的な生活もコントロールできるようになるのです。

わたしたちは常に、外側からではなく内側から成長します。

植物は土の中の種から成長するのであって、その逆はありません。

内的な生活は、常に《真 実》と神のメッセージを携えています。

この内面の《真実》は種です。

この種を発芽させて苗ができ、さらに木となれば、その木になった実を食べることができます。

そして実を食べながら、この実は外的な世界に存在するものだけれど、源は内面の世界から来たものだと分かります。

このように、内的な世界での受容力、または能力が、外面の世界に表れてくるのが分かります。
瞑想   ただ単に外的な世界で、どんなに長い間働いても、話をしても、何をしようと、《真実》に近づくことはできません。

まず瞑想して、それから話し、行動して初めて、実用的なことをすることができるのです。

内面の世界での実用性は、外的な人生を導いていきます。

その逆はありません。

外的な人生における命の 息吹は、内的な生活から来たものでなければなりません。

このようにしてこそ、本当に実用的になれるのです。

勇気を持って内的な生活に入ってみれば、内的な生活は実用的であり、現実的であり、自然であることがわかるでしょう。

愛、光、平和、喜び、というも のは神聖であり、まったく正常なことなのです。

内的な世界が提供してくれるものを、外的な世界に持ってくることができれば、外的な世界も神聖で、正常で、 実用的で、満足いくものとなるのです。

-シュリ・チンモイ・喜びの翼 P25〜