瞑想を始める準備-基本をマスターする

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~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より


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準備がないと何も始まらない
何も始まらないと前進もない
前進がないとゴールもない
そして
ゴールがなければ
満足はない

瞑想を始める準備

家で瞑想する際には、瞑想のためだけに使う神聖な場所をつくり、 そこを完璧に純粋で清めること。そこに、自分のスピリチュアル・マスター、または仏陀やイエス・キリスト、あるいは自分が師と仰ぐ神聖な存在の写真や絵を飾るといい。このような場所をシュラインと云う。

altardemeditacaosrichinmoy瞑想を始める前に、シャワーを浴びるか風呂に入って身をきれいにしておくがいい。これはあなたの意識を浄化する助けになるからだ。シャワーを浴びることが出来なければ、少なくとも顔は洗うこと。そして、清潔で軽い服を着るのがいい。部屋に香を焚き、シュラインには花を生けておきなさい。香の香りがもたらすインスピレーションと浄化作用はほんのわずかかもしれない。しかしこのわずかなものがあなたの内面の宝物となる。瞑想中に目の前に花を置く必要はないと云う人たちもいる。「花はわれわれの内面にある。千枚の花びらを持つ蓮の花は私たちの中に咲いているのだ。」と云うのだ。しかしシュラインにある実物の花は、あなたの内側に咲く花を思い起こさせてくれる。その色、香り、純粋な意識があなたに霊感<インスピレーション>をもたらす。そしてこの霊
感<インスピレーション>から、心<アスピレーション>から神を求める気持ちが生まれてくるのだ。

瞑想中にろうそくを使うのも同じ理由だ。ろうそくの炎自体にはアスピレーションなどはない。しかしその燃えるな炎を見ることで、自分の内的存在のアスピレーションの炎が高く、何よりも高く昇ってゆくのを感じることが出来る。もし神を悟る直前か、もう神を悟ってしまっている者にとっては、このような外的なことには何の価値もない。しかし悟りへの道のりがまだ遥かなものと分かっていれば、花やろうそくが確実に、あなたのアスピレーションを高めてくれるのだ。
毎日の瞑想をするときは、必ず一人で行いなさい。但し、同じスピリチュアル・マスターを持つ夫婦の場合は例外だ。この場合、夫と妻は一緒に瞑想してもよい。それ以外は、毎日の個人の瞑想をほかの人とするのは勧めない。グループでする瞑想も大切だが、個人の日々の瞑想は、自分のシュラインに向かって、一人で行ったほうがよい。

瞑想は神聖な贈り物だ瞑想はこの世での人生をシンプルにし、精スピリチュアルライフ神生活に活力を与えてくれる瞑想によって人生は、自然でのびのびしたものになるとにかく自然でのびのびし自分自身の神聖さを一息ごとに意識しないではいられなくなる

Sri Chinmoy performing a peace concert at the Kamakura Diabatsu姿勢が大切

瞑想するときは、背筋をまっすぐに伸ばし、身体をリラックスさせることが大切だ。身体が固いと、瞑想の間に体を流れる、神聖で満ち足りたものを受けとることが出来ない。また座り心地が悪いと云うのも良くない。瞑想に入ると、内的存在<インナーパイロット>があなたを自然な心地よい姿勢してくれることだろう。しかしその姿勢を保つかどうかはあなた次第なのだ。蓮華坐<パドマアーサナ>のよいところは、脊椎をまっすぐに伸ばしていられることだ。しかしこの姿勢はヨーガや座禅をやったことのない者にとってはとてもむずかしい。きちんとした瞑想をするために、必ずこの蓮華坐<パドマアーサナ>を習得しなければならないと云うことではない。椅子に座ってもよい瞑想は出来るしそうする者も大勢いる。

体操や一定の姿勢を作る動きをする人たちもいる。これはハタ・ヨーガとよばれていて、身体をリラックスさせ、少しの間心の平安をもたらしてくれる。もしあなたが落ち着きが全くなく、一秒もじっとしていられないようなら、このハタ・ヨーガは確実に助けになってくれることだろう。しかしハタ・ヨーガが瞑想を行う上で、絶対に必要かと云うと全くそうではない。高みを目ざす求道者<アスピラント>には、ハタ・ヨーガを行わなくても、心を落ち着け静めることが出来る
人は大勢いる。

横になって瞑想するのはやらないほうがよい。これは何年か瞑想の経験がある者でも同じだ。横になって瞑想しようとすると、眠りの世界に入るか、うとうととまどろみの世界に入ってしうからだ。さらに、横になっていると、座っている時ほど呼吸がきちんと出来なくなってしまう。それは無意識で呼吸をしているからだ。意識的に呼吸をコントロールすることは瞑想においてとても大切なことだ。

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より

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