~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より
アスピレーションで行う努力は
いつも
満足のいく結果をもたらす
時には時間がかかるかもしれない
しかし、
間違いなく、結果がついてくる
良い瞑想とは?
求道者<シーカー>からよく質問されるのが次の三つだ。
1 自分が果たして正しい瞑想をしているのか?
2 それとも自分をごまかしたり幻覚を見たりしているだけなのか?
3 それはどうやったら識別出来るのか?
その答えはとても簡単だ。もしあなたが正しい瞑想をしていれば、自然に湧き上がってくる内的な悦びを感じるはずだ。
それは誰かが良い知らせを持ってきてくれたからでもなく、プレゼントを貰ったからでもなく、褒められたり感謝されたりしたからでもなく、何かをしてもらったわけでもないのに、こころの中に悦びを感じる。
もしこんな風に感じていれば、あなたは正しい瞑想をしていると云える。
しかし頭に緊張感や動揺を感じるようなら今あなたがやっている、今している瞑想のやり方はあなたに不向きだと云うことだ。
もし頭の中で幻想を楽しんでいるだけなら、〈平安〉は内側にあって、落ち着きのなさは外側にあると、感じているはずだ。
つまり〈平安・光明・歓喜〉を切望しているのに、外面的には火山の震動のようなものを感じている。
もしあなたが本物の瞑想、最高の瞑想をしているなら、内にも外にも間違いなく〈平安〉を感じるはずだ。
もし魂からの瞑想をしていれば、自分は永遠の存在なのだと云うことがはっきりわかる。
そして自分は永遠のものであり、永遠のためにあると云うことを感じる。この感覚は幻想で得られることはまずありえない。
もう一つ、正しい瞑想をしているかどうか見分ける方法がある。
もしあなたが本当に、より高い内的領域に入って行っているのならば、体がとても軽くなっていくのを感じるはずだ。
翼があるわけではないのに、まるで空が飛べるかのように感じられる。
実は、至高の世界に達する、ちょうど 本物の鳥のように簡単に飛べる鳥が、自分の内側にいるのがわかるようになる。
自分で想像しているだけの瞑想では、数分の間だけはとても甘美な思いに浸ることが出来るが、その直後には暗く、がっかりするような考えが浮かんでくるものだ。
それは「一生懸命勉強したのに、テストはうまく行かなかった。」とか、「今日は会社で本当に一生懸命働いたのに、上司は満足してくれなかった。」などと云うものだ。
このような失望と云う形をとった否定的(ネガティブ)な力が、すぐにあなたを包んでしまう。
あるいはまた猜疑心(さいぎしん)がやってきて、「昨日あんなにたくさん悪いことをしてしまったのに、こんなに良い瞑想が出来ることがあるのだろうか?
神が私に満足して下さるなんてありえない! 高い瞑想が出来るなんて、ありえない!」などと云うかもしれない。
しかし本当に高い瞑想ならば、自分の全存在が聖なる鳥のように高く、より高く、遥かな高みを飛んでいくのを感じる。
この感覚がある間は、〈悲しさ・失望・疑い〉といった否定的<ネガティブ>な思いは全くない。
あるのはただ歓喜の空を舞う、〈喜び・平安・至福〉だけなのだ。
良い瞑想をしたかどうかは、瞑想をした後の気持ちのあり方でわかる。
瞑想の結果、〈平安・光明・愛・歓喜〉が前面に出てきたら、良い瞑想ができた証拠だ。
不完全さに溢れているにもかかわらず、世の中に対して良い思いを抱けるようなら、あるいは愛しい思いで世の中を見ることが出来るなら、その時あなたは良い瞑想をしたと云える。
そして、もし瞑想の後で力がみなぎるよう<ダイナミック>な感覚を覚えて、この世にやって来たのは何かするため、何かになるため ―神そのものの姿になっていき、神の献身的な道具になるため― そう思えたなら、良い瞑想をしたと云うことなのだ。
しかし最も簡単な判定の仕方は、〈平安・光明・愛・歓喜〉が内側から前面にでてきたかどうかと云う一点に尽きる。
あなたはすでに用意万端のはず
なぜってあなたのアスピレーションの鳥は
あなたを捕らえ、目を覆うマインドの混乱の雲よりも
遥か高いところを飛んでいるのだから
~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より