~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より
ビギナーは、集中<コンセントレーション>から始めるのが一番良い。集中が出来ていないと、思考<マインド>を落ち着かせ静めようとした途端、数え切れないほどの欲しくもない考えが浮かん出来て、たった一秒でも瞑想することなど出来はしない。
集中が出来れば、瞑想の妨げになる考えにその時点で対抗することが出来る。だから初めのうちは、ただ集中の練習を何分か行うこと。それを何週間か、何ヶ月かやってから、瞑想<メディテーション>をやるのがいい。
瞑想を始めるにあたっては、いつも自分は子供なのだと思うこと。子供のときは思考<マインド>が発達していないが、十二歳か十三歳になると、思考が知性のレベルで働き始める。
けれどそれ以前の子供は、こころ<ハート>だけの存在だ。子供は自分は何も知らないと思っている。瞑想やスピリチュアル・ライフについての思い込みはまだなく、真っ白な状態から学びたいのだ。
まず自分は子供なのだと感じたら、次に花がたくさん咲いている庭にいると想像するといい。子供は庭で何時間でも遊ぶことが出来る。
あの花の側へいったり、この花のところにやって来たり、なかなか庭から出ようとしない。一つ一つの花の美しさと香りが、喜びを与えているからだ。
だからあなたの内側には庭があり、そこに好きなだけいられるのだと感じてみることだ。こうやってハートでおこなう瞑想を身につけることが出来る。
ハートに留まることが出来たら、内側からほとばしりでる叫びを感じ始めるだろう。この内側からの叫び、つまりアスピレーションが瞑想の秘訣なのだ。
大人が泣き叫ぶとき、それは必ずしも誠実なものではないが、子供が泣き叫ぶとき、たとえ飴玉一個がほしくて泣いているのだとしても、それはとても誠実なものなのだ。
その時飴玉は、この子供にとっては世界のすべてなのだ。飴玉の代わりに百ドルあげたとしても、子供は決して満足しない。ただ飴玉がほしいのだから。
子供が泣けば、父親か母親がすぐ飛んでくるように、あなたが心の奥深くから、平安<ピース>・光明<ライト>・真実<トゥルース>を求めて叫び、ほかの何ものもあなたを満たすことが出来ないならば、永遠の父・永遠の母である神は必ずやってきて、助けてくれる。
だから、いつも自分は子供のように無力なのだと思ってみるがいい。自分では何も出来ないと感じたら、すぐに、誰かが助けに来てくれる。
子供が道に迷って泣き出したら、親切な人がやって来て、家がどこにあるか教えてくれる。あなたも道に迷ったのだと思ってみるがいい。それは丁度ひどい嵐のようなものだ。
〈疑い・恐れ・不安・心配・自信のなさ〉といった神聖でない力がふりかかってくる。しかし心の底から泣き叫べば誰かがやって来て、どうやればあなたの家であるこころ<ハート>に帰れるか教えてくれるだろう。
その〈誰か〉とは誰だろう?それが神<スープリーム>、あなたの内なる導き手<インナーパイロット>なのだ。
朝早く
あなたの友、真の友、唯一の友である神を招き入れるがいい
その日一日を一緒に歩いてくれるように~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より